都内に住むOL・早川佳江さんは2年前、ある男性と婚約した。しかし、結婚間近となり、婚約者・大島氏は突如、出張先の福島にて蒸発する。動機・原因はまったく不明。佳江さんは、俳優の露口茂(『太陽にほえろ』のヤマさん、以下“ヤマさん”で)とともに彼を探すべく、調査を開始するのだった。
調査を進めていく内に、段々と大島氏の真実の姿が浮かび上がる。
お見合いによる出会いであり、付き合う期間も比較的少なかった佳江さんは、大島氏に関して「実直なサラリーマン」、「気が弱くておとなしい人」くらいの印象しかなかったが、大島氏失踪の裏には、女関係が派手だとか、あまり仕事の出来るタイプでは無かったとか、会社の金を使い込んだ前歴だとか、お決まりのウラがあったのである。
これで、佳江さんと結婚するにあたって、どうやら後ろめたい事実がありそうなことだけは判明したが、肝心の大島氏自身の足取りは依然として掴めない。しかし、調べを進めていく内に、なんと大島氏失踪の裏に佳江さんの実姉・サヨさんの存在が浮かび上がる。大島氏探しが難航を極めていたので、今村監督は徐々にこのあまり仲が良いとは言えない姉妹の真実にスポットを当てていく。さらに、大島氏探しに段々とその意欲が薄れつつあった佳江さんは、付添い人のヤマさんに恋心を抱きだす。予想だにしない展開に戸惑うヤマさんであるが、逆に今村監督はこれを面白いと踏んで、この展開をも恰好の題材としてフィルムに収めていく・・・
と、こんな風に方々に寄り道を繰り返しながらも、撮影隊は遂に大島氏と姉の接触を目撃した人を発見。ある料亭のような一室で、ヤマさんを介添人として姉妹の対決が始まる。大島氏が働いていた会社の電話交換手の証言、大島氏と姉が一緒に歩くところを見たという魚屋の主人の証言、佳江さんは実の姉に確信的な疑念を抱いて追及するも、姉は「知らない」「覚えが無い」の一点張り。話が堂々巡りになったところで、今村監督「真実は誰にもわからない…」云々と話し出して、「セット外せ!」と掛け声。実は、彼女たちが話していたのは、料亭でも何でもなくて、日活撮影所内のセットだった。「あなたたちもここで話している内に、ここがセットだなんて段々と思えなくなったでしょう?何かどこかの部屋であるかのような錯覚に陥ったはず。人間の実感など所詮はこんなものなのです」と、今村監督。
最後に早川姉妹、数々の証言者、大島氏の身内等交えての現場検証。ここでも姉は知らないの一点張りで、魚屋の主人こそ「自分の目に狂いはない」と断言するものの、他の証言者たちは堂々巡りが繰り返されていくなかで、段々と自分の記憶に確証が持てなくなっていく。「所詮、人の記憶などこんなもの。皆さん、これはあくまでフィクションなのです」と再び今村監督。
結局、大島氏は発見できず、謎を残したまま映画は終わる。
“現実に対して、あくまで中立な立場を貫き、そこにある真実だけを切り取っていく”ことがドキュメンタリーの定義だとすれば、この映画はそんなドキュメンタリーの落とし穴を明確に示しています。完全な中立など世の中に存在しうるはずもなく、いくらドキュメンタリーやノン・フィクションと銘打とうが、作り手側のとり方によって観る者の印象はいくらでも変わってしまう。根本的なテーマ自体が、わき道にそれることだってある。作り手が「こっちの方が面白いな」と感じたら、そんなことなど容易いことなのである。
この映画を見た大半の人々は「佳江さんの姉は明らかに怪しいな」と感じることでしょう。しかしこれとて、映画が佳江さん目線で作られているから感じることなのであり、佳江さんの姉の立場に立って、映画が作られていたとするならば、観る者はまったく逆の印象を抱くのかもしれません。
真に迫ったつもりでも、本当の真実など誰もわからない。カメラに撮られている、という感覚だけで、人は普段以上の力を発揮することだってあるのだろうし、その逆もまたしかり。所詮、映画もドラマもニュースもドキュメントも虚構の世界です。虚構の世界を浮遊するのは楽しいですが、真実はやっぱり自分の目で確かめてナンボということでしょう。
『人間蒸発』
監督:今村昌平
撮影:石黒健治
音楽:黛敏郎
出演:露口茂、早川佳江、早川サヨ
(1967、今村プロ、日本映画新社、ATG)
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