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日本映画の感想 『天使の恍惚』

テーマ「自分の身体を張って闘えるヤツ、本気で孤立できるヤツ、個的な闘いを個的に闘える奴等、孤立した精鋭こそが世界を換える、世界を創る」若松監督による左翼運動(または反体制運動)誘発映画である。若松プロ製作・ATG配給。

これが時代ってやつか?とにかく何言ってんだか、全般的にセリフの意味がよくわからないが、吉澤健と横山リエ以外は妙にシロウトっぽいキャラが揃っていて、逆にそれが生々しいというかリアルでもある。いざ作戦開始って時に、画面が突然モノクロからカラーに切り替わり山下洋輔トリオの荒々しいフリージャズが鳴り響く。そして、爆破の嵐。テロリストたちは恍惚の時を迎える。

映画『天使の恍惚』作戦開始

いま見てみると、この時代の人々が謳う理想や思想などは甘ったるくもあるし、馬鹿らしくもある。ただ、本作がセンセーショナルになり得た土壌(公開初日に爆破テロ事件が発生している)というものは確実に存在したのだろう。安保に揺れたこの時代より、よっぽど現代の方がいろいろな意味で混迷を極めているのかもしれないが、もはやこの国には革命の息吹すら感じ取れない。そういう意味では既に終わってしまっているような気もして恐ろしくもあるし、未来に向けて一縷の望みすら抱けないような気もして、なんだか落胆してしまう。


 『天使の恍惚』                                Ecstacy_of_the_angel_3
  監督:若松孝二
  脚本:出口出
  撮影:伊東英男
  音楽:山下洋輔トリオ
  出演:吉澤健、横山リエ、荒砂ゆき、
      本田竜彦、大泉友雄、三枝博之、
      足立正生、小野川公三郎
  (1972、若松プロ・ATG)

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日本映画の感想 『青春の殺人者』

水谷豊が父親・内田良平を殺害してから、母親・市原悦子が帰宅して以降、この二人によって繰り広げられる死体の処理の論議、そして母親殺害・・・長い時間を割いた二人芝居が壮絶過ぎて、ここでもう一本の映画を観終わったような脱力感に襲われる、天才・長谷川和彦監督渾身のデビュー作。

“子供による両親殺し”という製作当時としてはかなりセンセーショナルな題材を扱っています。ただ、今の時代、尊属殺人などセンセーショナルでも何でも無くなってしまったので、つくづく嫌な時代になったなぁと思いますけど。
特別に異常なところは何もない青年が何故両親を殺してしまうという凶行に走ってしまったのか?圧倒的な母性の塊と抑圧的な父性の狭間で、結局は親子関係が濃密になり過ぎて、子の親離れあるいは親の子離れという双方の失敗があるのかもしれません。ただ、親に向かって「死んじまえ!」と一度は思ったことのある多くの若者は、この主人公の姿にきっちりと己の姿を重ねてしまうのだろうとも思います。実際、僕だってそうです。主人公の絶望と後悔を嫌々ながらも共有してしまう自分がいます。

歪んだ人間関係、親子関係、理性という歯止めを失った若者世代、混沌と絶望的状況に向かっていく時代の流れをまるで予見したかのような作品です。


 『青春の殺人者』                             Satsujinsya
  監督:長谷川和彦
  脚本:田村孟
  撮影:鈴木達夫
  音楽:ゴダイゴ
  出演:水谷豊、原田美枝子、市原悦子、
      内田良平、白川和子、江藤潤、
      桃井かおり、地井武男、三戸部スエ
  (1976、今村プロ・綜映社・ATG)

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日本映画の感想 『人間蒸発』

都内に住むOL・早川佳江さんは2年前、ある男性と婚約した。しかし、結婚間近となり、婚約者・大島氏は突如、出張先の福島にて蒸発する。動機・原因はまったく不明。佳江さんは、俳優の露口茂(『太陽にほえろ』のヤマさん、以下“ヤマさん”で)とともに彼を探すべく、調査を開始するのだった。

調査を進めていく内に、段々と大島氏の真実の姿が浮かび上がる。
お見合いによる出会いであり、付き合う期間も比較的少なかった佳江さんは、大島氏に関して「実直なサラリーマン」、「気が弱くておとなしい人」くらいの印象しかなかったが、大島氏失踪の裏には、女関係が派手だとか、あまり仕事の出来るタイプでは無かったとか、会社の金を使い込んだ前歴だとか、お決まりのウラがあったのである。

これで、佳江さんと結婚するにあたって、どうやら後ろめたい事実がありそうなことだけは判明したが、肝心の大島氏自身の足取りは依然として掴めない。しかし、調べを進めていく内に、なんと大島氏失踪の裏に佳江さんの実姉・サヨさんの存在が浮かび上がる。大島氏探しが難航を極めていたので、今村監督は徐々にこのあまり仲が良いとは言えない姉妹の真実にスポットを当てていく。さらに、大島氏探しに段々とその意欲が薄れつつあった佳江さんは、付添い人のヤマさんに恋心を抱きだす。予想だにしない展開に戸惑うヤマさんであるが、逆に今村監督はこれを面白いと踏んで、この展開をも恰好の題材としてフィルムに収めていく・・・

と、こんな風に方々に寄り道を繰り返しながらも、撮影隊は遂に大島氏と姉の接触を目撃した人を発見。ある料亭のような一室で、ヤマさんを介添人として姉妹の対決が始まる。大島氏が働いていた会社の電話交換手の証言、大島氏と姉が一緒に歩くところを見たという魚屋の主人の証言、佳江さんは実の姉に確信的な疑念を抱いて追及するも、姉は「知らない」「覚えが無い」の一点張り。話が堂々巡りになったところで、今村監督「真実は誰にもわからない…」云々と話し出して、「セット外せ!」と掛け声。実は、彼女たちが話していたのは、料亭でも何でもなくて、日活撮影所内のセットだった。「あなたたちもここで話している内に、ここがセットだなんて段々と思えなくなったでしょう?何かどこかの部屋であるかのような錯覚に陥ったはず。人間の実感など所詮はこんなものなのです」と、今村監督。

最後に早川姉妹、数々の証言者、大島氏の身内等交えての現場検証。ここでも姉は知らないの一点張りで、魚屋の主人こそ「自分の目に狂いはない」と断言するものの、他の証言者たちは堂々巡りが繰り返されていくなかで、段々と自分の記憶に確証が持てなくなっていく。「所詮、人の記憶などこんなもの。皆さん、これはあくまでフィクションなのです」と再び今村監督。
結局、大島氏は発見できず、謎を残したまま映画は終わる。

“現実に対して、あくまで中立な立場を貫き、そこにある真実だけを切り取っていく”ことがドキュメンタリーの定義だとすれば、この映画はそんなドキュメンタリーの落とし穴を明確に示しています。完全な中立など世の中に存在しうるはずもなく、いくらドキュメンタリーやノン・フィクションと銘打とうが、作り手側のとり方によって観る者の印象はいくらでも変わってしまう。根本的なテーマ自体が、わき道にそれることだってある。作り手が「こっちの方が面白いな」と感じたら、そんなことなど容易いことなのである。
この映画を見た大半の人々は「佳江さんの姉は明らかに怪しいな」と感じることでしょう。しかしこれとて、映画が佳江さん目線で作られているから感じることなのであり、佳江さんの姉の立場に立って、映画が作られていたとするならば、観る者はまったく逆の印象を抱くのかもしれません。

真に迫ったつもりでも、本当の真実など誰もわからない。カメラに撮られている、という感覚だけで、人は普段以上の力を発揮することだってあるのだろうし、その逆もまたしかり。所詮、映画もドラマもニュースもドキュメントも虚構の世界です。虚構の世界を浮遊するのは楽しいですが、真実はやっぱり自分の目で確かめてナンボということでしょう。


 『人間蒸発』                                Ningen
  監督:今村昌平
  撮影:石黒健治
  音楽:黛敏郎
  出演:露口茂、早川佳江、早川サヨ
  (1967、今村プロ、日本映画新社、ATG)

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日本映画の感想 『TATTOO[刺青]あり』

この映画で描かれる梅川昭美(1979年の三菱銀行襲撃事件の犯人。劇中では竹田昭夫)の人間像は、従来の実録犯罪もので取り扱われる犯人像の描かれ方とは、かなり異なっています。従来では、犯人の素顔や犯罪までの経緯が、ただ単に不条理なもの、または幼少期の悲惨な体験や劣悪な家庭環境、その人間に潜む狂気のみにスポットを当てていたのに対し、本作での主人公の描かれ方は、ちょっと自意識過剰な面は否めないものの、おおかた一般的人間であり、犯罪に至るまでは、主に何気ない日常にスポットを当てている点が特徴的であります。

見た目難しそうな人間に見える竹田も、その人生の論理は単純そのもの。それはいわゆる「プラスマイナスゼロ」という、わかりやすい論理。たとえば、借りたお金はたとえ何百円何十円でもきっちりと返す、自分が暴行して女の体に出来たアザには湿布を貼ってやる、「刺青を見せて凄んで、飲み屋の代金をタダにさせろ」という友人を怒鳴りつけ、ちゃんと代金を支払うなど、マイナスの穴を埋めてゼロにしなければならないという強烈なまでの思い込み(別に間違いではないのだけれど)です。あくまで、三千代(関根恵子)という一人の女にこだわり続けたのも、「絶対に離さへんぞ」と誓った約束があったからだと思います。

このように竹田という男は、心情的行動よりも論理的行動にしか走れない人間です。開いた穴は、物質で埋めることしか考えられない人間なのです。高橋伴明監督は、そんな竹田の内面を描くことをあくまで拒否し続け、表面的行動のみを逐一拾い上げていきます。これは論理的にしか生きられない竹田という男を象徴させるための一種の演出意図ともいえるのでしょう。竹田が銀行を襲撃したのも、「30歳は男の節目」という母、または三千代が自分の新しい男(本作ではこの男は、伝説のヒットマン鳴海清という設定)と竹田を比較して言った「うちはホンマモンの男が好きなんや」というこれらの言葉と、実際の自分とのギャップを埋める為なのです。

自身を世界の中心に据えることによって、世間から迫害され続けた仕返しをしてやろうという「プラスマイナスゼロ」の根本原理は、銀行襲撃という最悪の形で破滅を迎えます。
そもそも日本社会自体が、こうした「プラスマイナスゼロ」のわかりやすい論理からはみ出した部分で成立しているのだと思います。不条理に不遇を囲ってしまったとしても、みんなそれぞれ家族や明日の食い扶持など守るべきものがたくさんあるから、黙って耐えているのが現実です。それを格好よくぴったりゼロに合わせようとしたところにこの男の破滅があるのですが、人情や愛情を物質に置換えていい気になっている普段の自分に思い当たるとき、この映画は他人事では無くなるのだとも思います。

こんな自意識過剰で、自己顕示欲の塊で、そのくせ勤勉で努力家だが、情緒不安定で病的だという超難解な役柄を演じきった宇崎竜童は特筆ものです。別に大阪弁のイントネーションも気にならなかったし、竹田昭夫という役柄を完全に自分の物にしています。また母親役の渡辺美佐子も、子供に対する異常なまでの愛情を持ちながらも、子供が銀行に押し入って今から急いで説得しに行かなければという局面で、のんきにパーマ屋に行って髪型を整えてから行くという、妙に落ち着いたというかユーモラスで難しい役柄を好演しています。関根恵子の圧倒的存在感と美しさも映画に重みを与えていますし、あと下元史朗は、今とあんまり変わってなくて、歳を取らない人だなと思いました。

ミスター・ロッケンロール・内田裕也氏のオープニングナンバー「雨の殺人者」(作曲は宇崎竜童)と宇崎竜童自らが歌うエンディングナンバー「ハッシャバイ・シーガル」も渋くて良いです。


 『TATTOO[刺青]あり』                            Tattoo
  監督:高橋伴明
  脚本:西岡琢也
  撮影:長田勇市
  音楽:宇崎竜童
  出演:宇崎竜童、関根恵子、渡辺美佐子
      植木等、下元史朗、ポール牧
  (1982、国際放映・高橋プロ・ATG)

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日本映画の感想 『儀式』

60年代から70年代にかけて学園紛争が活発化する中で、盛んに叫ばれた言葉に「総括」というものがありました。全体をトータルに批判する、という意味あいの言葉で、学校とは?安保とは?革命とは?などなどのテーマが、断固として「総括」されました。この映画は大島渚なりの戦後日本の「総括」です。

戦後、高度成長期を経て、日本は大きく変わったはずでしたが、実は根本的には何も変わりませんでした。その変わらぬ面とは家父長制です。家父長制とは民主主義と相反する、いわば独裁制の基本形。

昔ながらの名家・桜田家には、一臣(佐藤慶)という当主が敢然とその中心に居座っています。桜田家は一臣が何人もの女に産ませた異母兄弟、その子供たちによってまさに複雑な人間関係が織り成されています。複雑すぎて、皆、自分の本当の父または母は誰なのか?当人同士ですらわからないような状況です。ただ一つある事実は、皆、一臣の血を何らかの形で受け継いでいるということだけ。一族の中には左翼から右翼まで様々な人間が居て、互いに皮肉ってみたり、いがみ合ったりしていますが、中心にはいつも絶対的存在の一臣がドシンと構えているので、結局は皆、不満を募らせつつも豊かになるにつれ、馴れ合うように自己解体を深めてゆくのでした。そして、一臣のまさに“男根支配”の犠牲となるのが、若い世代たちであり、彼らは当たり前のように桜田家に蔓延る近親相姦めいた人間関係や絶対主義に嫌気がさし、自らの命を絶つことで桜田家を根絶やしにして、真の意味での戦後を迎え入れようとします。

核家族化甚だしい現代となっては、まるでピンとこない話なのかもしれません。
戦後60年以上経った現代では家族の繋がり、ヨコとヨコの繋がりが限りなく希薄になっています。行き過ぎた家父長制度と、はたまた人間社会が希薄になり過ぎた現代社会・・・
極端な道行きしか辿れない日本という国には、まだ本当の意味での平和は訪れていないのでしょうか?いつまでたっても「戦後」という呪縛からは抜け出せないのでしょうか。

土俗的な家父長制度という深い闇を、雰囲気だけで表現してしまう戸田重昌の様式美、武満徹の不気味な音楽は圧巻です。


 『儀式』                                    Gishiki
  監督・脚本:大島渚
  脚本:佐々木守、田村孟
  撮影:成島東一郎
  美術:戸田重昌
  音楽:武満徹
  出演:河原崎建三、佐藤慶、中村敦夫
      小山明子、賀来敦子、渡辺文雄
  (1971、創造社・ATG)

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日本映画の感想 『竜馬暗殺』

明治維新影の立役者、薩長連合の仲介者である坂本竜馬が、幕府お抱えの見廻組や新撰組から命を狙われていたことは周知の通りですが、この映画では味方であるはずの薩摩藩からも疑惑の目を向けられ、暗殺されようとしていた…という解釈で、彼の暗殺に至る最後の3日間を扱った異色の時代劇です。

竜馬は単に幕府を倒しさえすればいいという革命家ではなく、薩摩や長州のような派閥が政権を握れば、必ず権力的に堕落するであろうということまで見通して、それに対する新たな革命を考える思想家だったから、という解釈です。

そもそも薩摩藩ってところは、幕府そっちのけで琉球を支配し、琉球を窓口として清国と貿易したりとか、独立志向の強い藩です。米がほとんど作れない土壌であるとか、大物外様大名ゆえ、幕府の財政弱体化政策の餌食になっていた
(公共工事に他藩よりも多額の資金投入をさせられていた)とか、そういう背景があったからこそ、自活、自衛本能が自然と養われていったのでしょう。ですから、幕末においても「当って砕けろ」精神で猪突猛進する長州藩とは対照的に、薩摩藩は非常に世渡り上手なイメージがあります。倒幕なのか佐幕なのか、或いは攘夷派なのか開国派なのか・・・機が熟すギリギリの線まで、曖昧な態度で周りを撹乱します。そんな隅々までケアを怠らない、警戒心の強い薩摩藩ですから、竜馬暗殺を企てていたとしても不思議ではないですね。

坂本竜馬は、日本史におけるヒーロー的存在ですが、認知され出したのはごく最近のことです。司馬遼太郎が「竜馬がゆく」を書くまでは坂本竜馬という人間の真実を知る人などほとんど居なかったと聞きます。学校の教科書ではいまだ「薩長連合を為し得た人」という位にしか紹介されていません。この映画のテーマである暗殺の真相はもちろん、知られているようで実はまだまだ知られていないことも多いと思います。そういう意味では竜馬は案外ミステリアスな人物ともいえます。

で、この映画ではそんな幕末期の竜馬たち志士の姿に、70年代の主に学生運動に代表される革命家たちの姿を投影しています。この映画で竜馬や慎太郎が着るよれよれの着物は、70年代の学生運動家たちのヒッピー風とどこか似通っているような感がありますし、モノクロの画面いっぱいに描かれる猥雑なエネルギーなどは、まさに70年代のそれとそっくりです。
時間軸、空間軸を超えて、幕末と70年代の若者群像が見事にリンクします。
アプローチの上手さが印象に残る作品です。

下世話で汗臭い、新しい竜馬像を体現した原田芳雄が新鮮。僕自身の持つ竜馬像に近いです。
後年の「浪人街」でもそうですが、黒木和雄作品での蓮司さんは、いつも一味違って良いです。この人独特の妖しさ、不気味さは影を潜めますが、他の映画では見られない清々しさと言いますか、凛とした感じがファンとしては興味深いところです。
竜馬を狙うテロリスト、右太を演じた松田優作はこの頃まだキャリア初期。初々しいですが、渇舌悪くてセリフが非常に聞き取りにくいです。
桃井かおりはこの頃から抜群の存在感があります。



 『竜馬暗殺』                                Ryouma_2                                          
  監督:黒木和雄
  脚本:清水邦夫、田辺泰志
  撮影:田村正毅
  音楽:松村禎三
  出演:原田芳雄、石橋蓮司、松田優作
      桃井かおり、中川梨絵、田村亮
  (1974、映画同人社・ATG)

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