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2008年12月

日本映画の感想 『青春の殺人者』

水谷豊が父親・内田良平を殺害してから、母親・市原悦子が帰宅して以降、この二人によって繰り広げられる死体の処理の論議、そして母親殺害・・・長い時間を割いた二人芝居が壮絶過ぎて、ここでもう一本の映画を観終わったような脱力感に襲われる、天才・長谷川和彦監督渾身のデビュー作。

“子供による両親殺し”という製作当時としてはかなりセンセーショナルな題材を扱っています。ただ、今の時代、尊属殺人などセンセーショナルでも何でも無くなってしまったので、つくづく嫌な時代になったなぁと思いますけど。
特別に異常なところは何もない青年が何故両親を殺してしまうという凶行に走ってしまったのか?圧倒的な母性の塊と抑圧的な父性の狭間で、結局は親子関係が濃密になり過ぎて、子の親離れあるいは親の子離れという双方の失敗があるのかもしれません。ただ、親に向かって「死んじまえ!」と一度は思ったことのある多くの若者は、この主人公の姿にきっちりと己の姿を重ねてしまうのだろうとも思います。実際、僕だってそうです。主人公の絶望と後悔を嫌々ながらも共有してしまう自分がいます。

歪んだ人間関係、親子関係、理性という歯止めを失った若者世代、混沌と絶望的状況に向かっていく時代の流れをまるで予見したかのような作品です。


 『青春の殺人者』                             Satsujinsya
  監督:長谷川和彦
  脚本:田村孟
  撮影:鈴木達夫
  音楽:ゴダイゴ
  出演:水谷豊、原田美枝子、市原悦子、
      内田良平、白川和子、江藤潤、
      桃井かおり、地井武男、三戸部スエ
  (1976、今村プロ・綜映社・ATG)

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日本映画の感想 『現代やくざ 血桜三兄弟』

本シリーズは、「現代やくざ」というタイトルどおり、現代のやくざを取り巻く状況をリアルに取り入れようという試みだが、主人公の造形は、任侠映画の定型を強く意識したうえでのアンチヒーローと呼べる範疇に収まっていた。1、2作目の監督が降旗康男、次いで高桑信、そして佐伯清というラインナップを見てみればそんな流れも納得なのだが、実録エース・深作欣二(第6作『人斬り与太』)、そして本作の中島貞夫の登板でそんなシリーズの様相は一変する。世間一般ではやはりこの後の『人斬り与太』が、『仁義なき戦い』への序章的な見方をされており知名度が高いが、この『血桜三兄弟』もなかなかのもの・・・中島貞夫ワールドが炸裂している。

まず主役であるはずの菅原文太がいつものように本能むき出しで暴れまわらずに、世間から、組織から、つま弾きにされて、ただただ腐っている様だけが映し出される。おまけに30半ばで胃がんを患っているというキャラ設定のせいもあってか、前半はかなりおとなしい。その分、中島監督の視点はいつもの通り、屈折した若者たちに向けられる。いっぱしのヤクザを気取ってみても所詮は組織の末端に過ぎない渡瀬恒彦、そんなヤクザ世界に憧れるイケてない奴・荒木一郎…実質的な主人公は彼らといっても過言ではなく、そこにはヤクザ抗争劇ならぬヤクザ社会を舞台にした普遍的ないつもの中島貞夫流青春ドラマがある。

本作では野坂昭如の「マリリンモンロー・ノーリターン」が効果的に使われているが、この歌が漂わせる虚無感やおフザケ感は、従来のヤクザ映画の形を破壊して、ひたすらに新しい展開を模索している様でもある。


 『現代やくざ 血桜三兄弟』                      Chisakura_3
  監督:中島貞夫
  脚本:野上龍雄
  撮影:増田敏雄
  音楽:山下毅雄
  出演:菅原文太、荒木一郎、小池朝雄、
      高宮敬二、伊吹吾郎、河津清三郎、
      松尾和子、名和宏、杉本美樹
  (1971、東映京都)

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アメリカ映画の感想 『フレンチ・コネクション』

刑事ドラマの革命的作品だと思う。
例えばそれまでマックイーンなどが演じた刑事像は寡黙で、正義感に溢れていて、紳士然としたイメージであったのが、本作のハックマン演じるポパイは、ちょっと行き過ぎたところもある熱血漢で、誰にでも暴力的だし、捜査に熱中するあまり自分の私生活に対しては限りなくだらしない。
そんなドライで、決して格好良いともとれない刑事の日常とこの頃犯罪都市と化しつつあった殺伐としたニューヨークの風景、そして荒々しく鳴り響くフリー・ジャズ…当時の刑事ドラマのスタイルにある種の風穴を空け、そしてそのリアルな描写は後の刑事ドラマの基礎を築いたのではなかろうか。

結局は報われない、あっけにとられたようなラストの衝撃度、かの有名な地下鉄対車のチェイスシーンにおける息をもつかせぬ緊迫感、車を解体しての麻薬捜索シーンでの細かいカット割り、撮影中ことごとくフリードキン監督から罵倒され続けて、殺気を帯びた迫力に満ち溢れているハックマン、そのハックマンの執拗な追求を巧みに優雅にかわしていくフェルナンド・レイ・・・見どころ満載の傑作。


 『フレンチ・コネクション』                          French
  監督:ウィリアム・フリードキン
  脚本:アーネスト・タイディマン
  出演:ジーン・ハックマン
      フェルナンド・レイ
      ロイ・シャイダー
      マルセル・ボズッフィ
  (1971、アメリカ)

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イタリア映画の感想 『暗殺の森』

13歳の時にホモの運転手に犯されそうになったマルチェロ少年は彼を射殺。
そのトラウマから逃れるかのように、大人になった彼はファシズムへと身を委ねていく。中産階級の娘との婚約すらも、逃避の手段でしかない。やがてファシスト党本部から、フランスに亡命中の学生時代の恩師、クアドリ教授の調査を命じられパリに赴くものの、任務がクアドリの暗殺に変更されて彼は苦悩する・・・

ファシズム、退廃といったイタリア映画お馴染みのキーワードがベルトルッチ独特の官能美を織り交ぜ描かれる。
本作の主人公、マルチェロは自らのトラウマによって崩壊していく哀しき男。しかし、少年時代の男に犯されたという体験が、何故そのまま本人の政治的思考へと繋がるのか?いや、マルチェロは政治的思考ではなく単なる体制順応主義者(本作の原題)である。要するに過度の臆病者かつ、典型的な“長いものに巻かれる”人間となっている。支配者がファシズムでも、反ファシズムでもマルチェロにとっては結局どうでもいいことなのである。

それにしても、この一見取り澄ましたマルチェロという男の内部の病巣は暗くて深い。母親のお抱え運転手にして情夫を始末する時も決して自らは一切手を汚そうとしないし、最大の山場、反ファシズムの教授暗殺の場でも、土壇場になると車の後部座席に座ったまま一歩も外に出ることもない。閉ざしたウインドー越しに必死に助けを求める教授の婚約者・アンナまで無表情に座視黙殺するのだ。そしてラスト、崩落するファシズムに群衆が沸き立ち騒然とする最中、助けを求めて来た盲目の恩人さえも裏切り、恥も外聞もなく、見苦しく糾弾する側に身を置こうとする。まったくもって、潔悪く卑劣な男である。そして街角の一隅から聞こえてきた「東洋のキモノも持っている。蝶々夫人を知っているか」(byかつて殺めたはずのホモ運転手)という台詞を再び耳にして、殺人を犯したというトラウマの源泉そのものが間違いであったことを知って、根底から全てのものが崩壊し茫然自失になる主人公マルチェロのクローズアップでこの映画は終わる。

過去のトラウマに苛まれ、時代の波に翻弄された男、マルチェロ。
ベルトルッチ作品らしく、映像は際立って美しいのだが、マルチェロの悲惨な物語を引き立てるという意味においては、この美しい映像群の存在意義は全く無いに等しい。見終わってしばらくすれば、きっと美しい映像しか記憶に残らないからだ。まるで主人公への共感を突き放しているかの様。徹底して哀れな映画である。


 『暗殺の森』                                 Ansatsu_2
  監督:ベルナルド・ベルトルッチ
  脚本:ベルナルド・ベルトルッチ
  撮影:ヴィットリオ・ストラーロ
  出演:ジャン・ルイ・トランティニャン
      ステファニア・サンドレッリ
      ドミニク・サンダ
      ピエール・クレマンティ
  (1970、イタリア・フランス・西ドイツ)

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日本映画の感想 『女地獄 森は濡れた』

公開一週間で官憲の手によって上映中止に追い込まれた本作。
上映直後にパゾリーニが出演俳優から殺害された『ソドムの市』と同様、サドの映画化にはいつも“いわく”が付きまとう。それはやっぱり、性描写そのものの問題以上に、サド作品が道徳観や倫理観といったものをことごとく突き放すからだと思う。

豪華な山荘、高級料理に高級外車・・・贅の極みを尽くす資産家・山谷初男。
性への追求も底なし。山谷の異常性欲に妻・中川梨絵や女中・山科ゆりらも完全に洗脳されている。女を犯している最中の高橋明のカマを掘る山谷という情景は完全に常軌を逸しており、嬲る(なぶる)という表現がぴったりだ。さらに女中に命じて、そんな最中の自らの背に鞭を打たせ、恍惚に浸る様はまさに異常性欲。とにかくこの山荘には倫理やモラルや秩序といったものは存在しない。「そんなものは権力者達が都合の良いように作り上げたルールであり、堅苦しいことこの上ない」とのたまう山谷・・・

官憲の手が入るということは、権力者たちが万人に見せたくないからである。
要するに権力者たちにとってこれは見られると都合が悪い代物である。
上映中止というセンセーショナルが、奇しくも上記の山谷のセリフを立証してしまったことが、何とも皮肉めいていて面白い。神代監督の“どや顔”が目に浮かぶようである。

由緒ある(?)資産家でありながら、何故かべらんめえ調なセリフ回しが可笑しい異常世界のオーガナイザー・山谷初男。犯され、鞭打たれ、全身に返り血を浴びながらも「ウヒャヒャヒャ」と笑い転げるエキセントリック・中川梨絵。人殺しの冤罪をかぶり、やっとの思いで山荘に逃げ込んだつもりが、更なる無間地獄に突き落とされてしまっても、何故か一向に感情が昂ぶらないダウナー・伊佐山ひろ子。いつも通り精神薄弱そうな山科ゆり。中川に銃殺され、山谷に身包み剥がされ女体盛りならぬ死体盛り(局部にバナナの房があてがわれており笑える)にされるという、今回は情けない役どころの高橋明。
以上が主な出演陣。


 『女地獄 森は濡れた』                          Onnajigoku
  監督:神代辰巳
  脚本:神代辰巳
  原作:マルキ・ド・サド『新ジュスティーヌ』
  撮影:前田米造
  音楽:春野新一
  出演:山谷初男、中川梨絵、伊佐山ひろ子、
      山科ゆり、絵沢萌子、高橋明
  (1973、日活)

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日本映画の感想 『緋牡丹博徒 鉄火場列伝』

ありふれた仁侠映画とは物語のアプローチの仕方からして「一味違うな」と思って、シナリオを調べるとやはり笠原和夫だった(則文監督も共同執筆)。
『博徒打ち 総長賭博』では、任侠の世界に現実的なアプローチをして任侠映画の新しい可能性、もとい任侠映画の限界を提起した笠原和夫の一貫した姿勢はこの東映きっての大シリーズでも変わることはなかった。

徳島の地では、お竜さんがやっかいになる川人足の親方・待田京介が小作料の引き上げに悩む農民たちの小作争議の先導に立っている。農民らはこの地を取り仕切るヤクザに逆らってまでも必死に小作争議をしているのだが、ヤクザの側も小作争議がこのまま続けば阿波踊りの晩に開かれる大規模な賭場を取りやめにすると地主や資本家から迫られているため、せっぱ詰まった状態。
川人足の親方にやっかいになるお竜さんは、当然弱き農民たちの側に立つのだが、「小作争議はあくまでカタギさんの問題で、ヤクザの抗争と一緒にされては困る」と待田に釘をさされ、“緋牡丹のお竜”を封印しなければならないという足枷が彼女には付けられている。しかも、なんとしても賭場を開帳したいヤクザとの争いなのに実は自分も博徒である、というこのジレンマ。それは同時に元・ヤクザであった待田京介のジレンマとも一致する。さらには、暗い過去を背負った子連れの渡世人・鶴田浩二もこの渦中に加わって…

とにかく、怒りに震え→最後の殴りこみに出かけ→主題歌が響く中雪道を歩く、な任侠映画お馴染みのパターンが全く踏襲されていない。阿波踊りの最中に悪玉親分をゲリラ的に拉致したお竜さんは、裏道で一騎打ちの戦いに挑む。西洋ナイズされたヤクザの丹波哲郎に助太刀されながら、天津敏との一騎打ちに挑む際のスローモーションで見せる演出はかなりの斬新さ。レギュラー熊寅の古くからの兄弟分、観音寺への電撃的な一太刀にも驚愕。お竜さんより古い兄弟分でありながら、迷いなく一気に斬り捨てる熊寅のキレ具合には、観ているこちらも思わず不意を付かれた格好。

「切った、張った」のヒロイックな世界感こそが任侠映画というものであったが、本作ではそんな前提など端から否定されていて、渡世人が世間で生きていくことの辛さ、肩身の狭さにひたすら焦点が当てられる。そんないっぱいのペーソスの中で耐えに耐え抜いて、怒りのドスを抜く鶴田浩二や藤純子は他のどの任侠映画よりも美しく、そして儚い。


 『緋牡丹博徒 鉄火場列伝』                       Hibotan_tekkaba
  監督:山下耕作
  脚本:笠原和夫、鈴木則文
  撮影:古谷伸
  音楽:渡辺岳夫
  出演:藤純子、鶴田浩二、若山富三郎、
      丹波哲郎、待田京介、里見浩太朗、
      河津清三郎、名和宏、天津敏
  (1969、東映京都)

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日本映画の感想 『緋牡丹博徒 花札勝負』

東映きっての名シリーズ『緋牡丹博徒』の中でもとりわけ評価の高い加藤泰監督作品。

話の筋はなんてことはない、義理と人情を重んじて生きるお竜さんや健さんが、義理人情などクソ食らえなワルどもに怒りのドスをお見舞いする、といういつも通りの物語。ただし、健さんとお竜さんの出会いのシーンにおける忘れがたい美しさやウエスタン風味の荒唐無稽なチェイスシーンなど加藤泰演出の懐の深さ、引き出しの多さが随所に散りばめられていて、最初から最後まで本当に楽しめる作品になっている。
あえて苦言を呈するならば、明治の中ごろにSLがバリバリに走っていたり、盲目の少女が簡単な手術で目が見えるようになったりと…則文監督&鳥居元宏の脚本は粗さが目立つ。

ところで、本作では1作目の“フグ新”役が印象深かった山本麟一が再度、アラカン率いる名古屋西の丸一家の幹部役で登場する。これがまた“フグ新”を彷彿とさせる微笑ましいキャラ。お竜さんを影ながらサポート、そして今回も男らしく単独行動で親分の仇討ちに出向き、あっけなく殺されてしまう。
それに比べて、お竜さん・健さん・若山富三郎・アラカンを向こうに回しても堂々のふてぶてしさを披露する小池朝雄御大。
作品全体に強烈なコクを放っている。さすがの一言。


 『緋牡丹博徒 花札勝負』                         Hibotan_hanahuda
  監督:加藤泰
  脚本:鈴木則文、鳥居元宏
  撮影:古谷伸
  音楽:渡辺岳夫
  出演:藤純子、高倉健、若山富三郎、
      嵐寛寿郎、待田京介、山本麟一、
      小池朝雄、清川虹子、天津敏
  (1969、東映京都)

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日本映画の感想 『緋牡丹博徒』

東映の代表的シリーズの一つ、『緋牡丹博徒』第1作。
九州の博徒、矢野組の一人娘・竜子(藤)は、闇討ちで殺された父の仇を求めて、全国津々浦々の賭場を流れ歩き、“緋牡丹のお竜”との異名を取る。ようやく仇(大木)を探しあてたお竜は、一匹狼の流れ者・片桐(高倉)の力を借り、遂に仇を討つのだった。

東映の大プロデューサー・俊藤浩滋が我が娘、藤純子をスターダムに押し上げるべく作り上げただけに、シリーズ全般を通して加藤泰・山下耕作・小沢茂弘といった相次ぐ一流監督の登板、藤の相手役には健さんや鶴田浩二や菅原文太といったスターの起用、その他脇を固めるキャストも豪華で、映像の作りなんかも単なるプログラムピクチャーの一端としてのシリーズものの枠を超えた丹念さがあって、このプロジェクトに賭ける当時の力の入り様が伺いしれる。

偉大なシリーズものには、主役を支える味のある脇キャラが必ず存在するもので、個人的Oryuusan_3 には彼らの存在がシリーズを成功させるか否かの分岐点だと思っている。お竜さんの兄貴分、熊寅(若山富三郎)がコメディーリリーフとして抜群の存在感を見せ、大阪のおたか親分(清川虹子)もお竜さんを影ながら支え続ける存在として定着、他にも熊寅からお竜さんのボディーガードを仰せつかった不死身の富士松(待田)など魅力あるキャラ達がそれぞれにしっかりと魅力を発揮している点に、第1作ながらその後の成功の源をしっかりと見てとれる。
そして特筆は、小憎たらしい役柄しか見たこと無い山本麟一がお竜に尽くす矢野組古参の子分・フグ新役で好演。一度良い役に回ればあの憎たらしい顔もこんなに優しく見えるのだとプロの俳優の力量に改めて感動。
実は、このフグ新が死んでしまうのと熊寅の妹で絶妙の味を醸しだしていた若水ヤエ子が実際に本作の後すぐに他界してしまった為に、この1作目にしか登場しないのが残念なところである。


 『緋牡丹博徒』                                 Hibotan
  監督:山下耕作
  脚本:鈴木則文
  撮影:古谷伸
  音楽:渡辺岳夫
  出演:藤純子、高倉健、若山富三郎
      待田京介、山本麟一、大木実、
      金子信雄、山城新伍、清川虹子
  (1968、東映京都)

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日本映画の感想 『昭和残侠伝 破れ傘』

昭和残侠伝最終作、佐伯清最後の監督作品、1972年製作。
もう、実録路線の足音がすぐそこまで迫っていた時期の作品で、昭和残侠伝がどうとか佐伯清がどうとか言う前に、実質的にプログラムピクチャーにおける最後の仁侠映画と呼べるのかもしれない。

そんな風潮に反映されているのかどうかはわからないが、鶴田浩二、北島サブちゃん、任侠路線では珍しい(と、勝手に思う)安藤昇など大物キャストが最後の花道を飾るべく、その男気を爆発させており、任侠路線のマンネリを微塵も感じさせない活気と迫力に満ち溢れている。

さらに映画そのもののボルテージを高める役割イコール健さんと池部良の憤怒をフルメーター加速させる悪ボスに扮した山本麟一が憎たらしいまでに素晴らしい。自分の野望のためなら義理の弟・安藤を殺すばかりか、その嫁かつ自分の実妹・鮎川いづみまでも殺してしまう。子供を宿しているにもかかわらずだ。「あんたそれでも侠客か!」などと義理人情の有無以前に、もはや人道に反する、おそらくは任侠映画史上に残るであろう極悪っぷりはまさに実録タッチの悪役。そのせいかわからないが、ラストの殴りこみにいつも以上のド迫力とキレを感じてしまった。


 『昭和残侠伝 破れ傘』                          Syouwa_yabure                           
  監督:佐伯清
  脚本:村尾昭
  撮影:飯村雅彦
  音楽:木下忠司
  出演:高倉健、池部良、安藤昇、
      北島三郎、鮎川いづみ、鶴田浩二、
      山本麟一、檀ふみ、山城新伍
  (1972、東映東京)

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日本映画の感想 『昭和残侠伝 人斬り唐獅子』

昭和残侠伝シリーズ第6作。
シリーズ中、本作のみ監督が山下耕作。第4、5作がマキノ雅弘でその他は全て佐伯清がメガホンを取っている。

山下耕作という人には本当に色というか個性がない。
1961年のデビュー以降、時代劇、任侠もの、実録もの、極妻…様々なジャンルを撮り続けており、彼の歴史はまさに東映の辿った歴史そのものでもある。
とにかく自分の色を出さない監督で、どんなジャンルを撮っても、それ相応のものを仕上げてくる。良く言えばプログラム・ピクチャーに生きた本物の職人、悪く言えば器用貧乏で、彼特定のファンというのもそうはいないだろう。この映画にしたって、山下耕作と知らずに観ていれば、これは佐伯清かマキノ雅弘か小沢茂弘が撮ってます、と言われても全然気がつかない。逆に言ってしまえば、実録もの、任侠もの、時代劇、何をさせても無難にこなせてしまうのは、それなりに感性の豊かさの証明でもあるのだし、やはり東映全盛期の屋台骨を支えた功労者といえる存在であることには間違いがない。あまり表に出すぎず、脚本なんかも日本映画データベースで検索する限りでは一本も手掛けていない。このさっぱりした仕事ぶり、必要以上に目立たないところも職人っぽくって何やら良いではないか。ついでにポルノをやってないところも、ある程度のプライドを持つ職人ぽい部分といえば部分。

と、のっけから話は山下耕作監督に脱線してしまったが、要するにあまりにもこのシリーズのパターンが決まりきっているので、もうあえて書き記すこともないからである。
とは言っても、何度観ても、わかっていても健さんは格好良いし、映画自体は普通に楽しめる。毎回思うことだが、池部良は青いアイシャドーがヘンだし、内田朝雄はやっぱりワル…。まるで武蔵丸親方みたいな片岡千恵蔵は笑える。
最後の死ぬ場面もなんだか国定忠治みたいで…仮にもこれは昭和のおハナシだ。千恵蔵御大の周りだけ時間が静止したかのようだった。


 『昭和残侠伝 人斬り唐獅子』                     Syouwa_hitogiri
  監督:山下耕作
  脚本:神波史男、長田紀生
  撮影:林七郎
  音楽:菊池俊輔
  出演:高倉健、池部良、片岡千恵蔵、
      小山明子、大木実、長谷川明男、
      葉山良二、沼田曜一、寺島達夫
  (1969、東映東京)

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日本映画の感想 『人間蒸発』

都内に住むOL・早川佳江さんは2年前、ある男性と婚約した。しかし、結婚間近となり、婚約者・大島氏は突如、出張先の福島にて蒸発する。動機・原因はまったく不明。佳江さんは、俳優の露口茂(『太陽にほえろ』のヤマさん、以下“ヤマさん”で)とともに彼を探すべく、調査を開始するのだった。

調査を進めていく内に、段々と大島氏の真実の姿が浮かび上がる。
お見合いによる出会いであり、付き合う期間も比較的少なかった佳江さんは、大島氏に関して「実直なサラリーマン」、「気が弱くておとなしい人」くらいの印象しかなかったが、大島氏失踪の裏には、女関係が派手だとか、あまり仕事の出来るタイプでは無かったとか、会社の金を使い込んだ前歴だとか、お決まりのウラがあったのである。

これで、佳江さんと結婚するにあたって、どうやら後ろめたい事実がありそうなことだけは判明したが、肝心の大島氏自身の足取りは依然として掴めない。しかし、調べを進めていく内に、なんと大島氏失踪の裏に佳江さんの実姉・サヨさんの存在が浮かび上がる。大島氏探しが難航を極めていたので、今村監督は徐々にこのあまり仲が良いとは言えない姉妹の真実にスポットを当てていく。さらに、大島氏探しに段々とその意欲が薄れつつあった佳江さんは、付添い人のヤマさんに恋心を抱きだす。予想だにしない展開に戸惑うヤマさんであるが、逆に今村監督はこれを面白いと踏んで、この展開をも恰好の題材としてフィルムに収めていく・・・

と、こんな風に方々に寄り道を繰り返しながらも、撮影隊は遂に大島氏と姉の接触を目撃した人を発見。ある料亭のような一室で、ヤマさんを介添人として姉妹の対決が始まる。大島氏が働いていた会社の電話交換手の証言、大島氏と姉が一緒に歩くところを見たという魚屋の主人の証言、佳江さんは実の姉に確信的な疑念を抱いて追及するも、姉は「知らない」「覚えが無い」の一点張り。話が堂々巡りになったところで、今村監督「真実は誰にもわからない…」云々と話し出して、「セット外せ!」と掛け声。実は、彼女たちが話していたのは、料亭でも何でもなくて、日活撮影所内のセットだった。「あなたたちもここで話している内に、ここがセットだなんて段々と思えなくなったでしょう?何かどこかの部屋であるかのような錯覚に陥ったはず。人間の実感など所詮はこんなものなのです」と、今村監督。

最後に早川姉妹、数々の証言者、大島氏の身内等交えての現場検証。ここでも姉は知らないの一点張りで、魚屋の主人こそ「自分の目に狂いはない」と断言するものの、他の証言者たちは堂々巡りが繰り返されていくなかで、段々と自分の記憶に確証が持てなくなっていく。「所詮、人の記憶などこんなもの。皆さん、これはあくまでフィクションなのです」と再び今村監督。
結局、大島氏は発見できず、謎を残したまま映画は終わる。

“現実に対して、あくまで中立な立場を貫き、そこにある真実だけを切り取っていく”ことがドキュメンタリーの定義だとすれば、この映画はそんなドキュメンタリーの落とし穴を明確に示しています。完全な中立など世の中に存在しうるはずもなく、いくらドキュメンタリーやノン・フィクションと銘打とうが、作り手側のとり方によって観る者の印象はいくらでも変わってしまう。根本的なテーマ自体が、わき道にそれることだってある。作り手が「こっちの方が面白いな」と感じたら、そんなことなど容易いことなのである。
この映画を見た大半の人々は「佳江さんの姉は明らかに怪しいな」と感じることでしょう。しかしこれとて、映画が佳江さん目線で作られているから感じることなのであり、佳江さんの姉の立場に立って、映画が作られていたとするならば、観る者はまったく逆の印象を抱くのかもしれません。

真に迫ったつもりでも、本当の真実など誰もわからない。カメラに撮られている、という感覚だけで、人は普段以上の力を発揮することだってあるのだろうし、その逆もまたしかり。所詮、映画もドラマもニュースもドキュメントも虚構の世界です。虚構の世界を浮遊するのは楽しいですが、真実はやっぱり自分の目で確かめてナンボということでしょう。


 『人間蒸発』                                Ningen
  監督:今村昌平
  撮影:石黒健治
  音楽:黛敏郎
  出演:露口茂、早川佳江、早川サヨ
  (1967、今村プロ、日本映画新社、ATG)

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香港映画の感想 『恋する惑星』

王家衛(ウォン・カーウァイ)監督の出世作。
粋な台詞。音楽や映像、小道具までもが洒落ている。謎の女・ブリジット・リンと犯罪捜査官・金城武のエピソードと、下町のファーストフード店で働く少女、フェイ・ウォンと常連客の警官、トニー・レオンのエピソード。二つのお話がまったくかみ合うことなく平行している。ただ、まとまりがないわけではない。「恋」というテーマの下に、時間が流れるようにテンポ良く、シャープに、滑らかに進んでいく。

ところでこの映画、独り言の類がやたらと多いのだが、しゃべるのはほとんど男。金城武のモノローグや、タオルに話しかけるトニー・レオン。
それに比べ、女は黙って行動あるのみ。映画では最後まで、行動を選択するのは女の側。男がやたらと受身な映画。フェイ・ウォンなど、合い鍵まで作って部屋に侵入してくる。この辺りの女性の積極さ、強さ。もう14年前に製作された映画でこんなことを言うのもなんですが、時代ってやつなのでしょう。いや、ただ単にトニー・レオンと金城武がイイ男というだけの話かもしれない。


 『恋する惑星』                                  Koisuruwakusei_2                              
  監督・脚本:ウォン・カーウァイ
  撮影:クリストファー・ドイル
      アンドリュー・ラウ
  出演:トニー・レオン
      ブリジット・リン
      フェイ・ウォン
      金城武
  (1994、香港)

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日本映画(Vシネマ)の感想 『ザ・ヒットマン 血はバラの匂い』

91年製作の東映Vシネマです。
脚本・監督:石井輝男、プロデューサー:天尾完次の黄金タッグが再び実現しました。ズバリ、エロス&バイオレンスが謳い文句。発足当時の東映Vシネマはとにかく力が入っていた。東映でこそ為しえる相次ぐ一流監督の登板。まさか、石井&天尾コンビまで引っ張りだしていたとは…。まぁ、エロスとバイオレンスの大家なのだから、当然の成り行きといえばそうだったのかもしれないが。Hitman2_2

率直な感想を言えば、ちょっと予定調和になり過ぎたのと、やっぱり予算の問題もあるのでしょうか?スケールの小粒感が否めない点は物足りません。しかし、ヒデキが夜の裏街に逃げ込み、ソープ嬢にかくまってもらうあたりから、雰囲気が出ました。部屋に着いた途端、会話をかわしているだけなのに何故か全裸になるソープ嬢、七瀬なつみを尋問するヤクザ達の変態度、七瀬なつみの「セクハラって意味知ってる?セックスの恨みを晴らすって意味よ」っていう意味不明なセリフ、大型ダンプの下敷きになって死ぬ堀田真三、出番は少ないながらふてぶてしく美しい余貴美子、ヒデキに簡単に殺される若きトヨエツ、藤本聖名子、仙葉由季という当時の人気AV女優のお色気合戦…。
主演のヒデキも良い感じです。殺しをする時、女に迫られる時、常にポーカーフェイスなヤツ、というか終始ニュートラルで、往年の吉田輝雄を彷彿とさせるヒーロー像です。それに、石井&天尾作品ということで急遽駆けつけた(か、どうかは勝手な想像だが)丹波先生も、そのマイペースぶりを披露します。いつもの大物役じゃなくて、所轄の名物刑事という役柄には、思わず名作「砂の器」を思い出したものですが、必死で追跡した割には、ラストになってヒデキを見逃して、結局何にもしないのには思わず笑ってしまうしかありません。

当時のキネマ旬報記事より
~石井監督が、孫のような歳のスタッフをグイグイ引っ張っている感じだ。気力・体力・技力が、まさに三位一体となっている。~


 『ザ・ヒットマン 血はバラの匂い』                   Hitman                   
  監督:石井輝男
  脚本:石井輝男
  撮影:米原良次
  音楽:大谷和夫
  出演:西城秀樹、七瀬なつみ、丹波哲郎、
      中条きよし、でんでん、睦五郎、
      片桐竜次、余貴美子、菅貫太郎、
      豊川悦司、仙葉由季、藤本聖名子
  (1991、東映ビデオ)

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日本映画の感想 『おくりびと』

主人公・本木雅弘は、オーケストラのチェロ奏者。
やっとの思いで好きな音楽で食い扶持を立てられるようになった矢先、所属先のオーケストラが経営難から解散する。チェロをこよなく愛してはいるが、何となく自らの限界にも気づいていた本木はチェロを辞めようと決意する。そんな本木に妻・広末涼子も理解を示し、二人は本木の故郷・山形へと帰郷する。
帰郷後、「旅のお手伝い」と銘打った求人広告を見た本木はさっそく連絡を取り面接に望むと、社長・山崎努から一発で採用を言い渡される。しかし、オフィスを見渡しても、社長・山崎や事務員・余貴美子を問い詰めても、何をしている会社なのかがわからない。翌日、さっそく山崎から呼び出された先は錆びれたピンク映画館。パンツ一丁にされる本木。そこは納棺のHOW TO DVDの撮影現場。山崎の正体は、遺体を棺に納める納棺師だった。それからというもの、独居老人の腐乱死体、人妻、不良女子高生、ニューハーフ・・・様々な亡骸を棺に納め続ける日々。冷ややかな視線を浴びせる旧友、愛想を尽かし出て行く妻。でも、そんな周囲とは裏腹に、戸惑いと苦悩を感じながらも納棺師という仕事に魅せられていく本木。彼は死を通して、生きることの本当の意味を知りはじめるのだった。

劇中、さかんに登場する銭湯の常連客、その実、火葬場の職員・笹野高史の言葉を借りれば、死とは終わりではなく、次の世界へ進むための「門」である。
いわば死人は旅人。旅立ちには身支度が必要である。だから、納棺師は亡骸をきれいに身支度してやる。身支度を施された亡骸は、まるで生き返ったかのような美しさ・・・

言うまでもなく死をテーマに扱った映画ですが、暗さや悲しみより、むしろ清々しさが全編を包みます。日本人の美意識って素晴らしい。
滝田監督の持ち味である笑いやユーモアといった要素も、随所に見られます。実際、納棺師の仕事に感銘を受けたという主演・本木自身が企画を発案し、「料理の鉄人」等の売れっ子放送作家・小山薫堂が手掛けたオリジナル脚本。マンガや小説の映画化、過去のリメイク作品ばかりが目立つ昨今、オリジナル脚本というのも珍しいですね。

しかし、一番触れておきたいのが、本木の父役を演じた峰岸徹。本木の父役といっても、本木と数十年ぶりの再会を果たす頃、峰岸氏演じる父親は既に亡骸であり、本木の手によって納棺されます。実際の峰岸氏も本年10月に逝去しており、このキャスティングにはどうしても因縁めいたものを感じずにはいられません。どうやらこれが峰岸氏の遺作ではないらしいのですが、この起用が映画に甚大な付加価値をもたらしていることは間違いないでしょう。

音楽は久石譲。モントリオール映画祭グランプリ。


 『おくりびと』                             Okuribito_2
  監督:滝田洋二郎
  脚本:小山薫堂
  撮影:浜田毅
  音楽:久石譲
  出演:本木雅弘、広末涼子、山崎努、
      余貴美子、山田辰夫、峰岸徹、
      杉本哲太、吉行和子、笹野高史、
      大谷亮介、橘ユキコ
  (2008、映画『おくりびと』製作委員会)

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日本映画の感想 『実録三億円事件 時効成立』

「石井輝男映画魂」(ワイズ出版)によれば、三億円事件の時効寸前で急遽製作が決定されたという、商魂たっぷりの東映らしいキワモノ映画。突然の降って沸いたような企画、社会への影響力が大きいことも踏まえれば、かなり良く出来た部類ではないでしょうか。石井監督の物怖じしないアプローチ姿勢が、力強い演出に表れていると思います。

岡田裕介が「俺は単なる親の七光りじゃないんだぞ!」と言わんばかりに熱演(東映・岡田茂元社長の息子)しているし、駄目男とわかっていながらも男から離れられなくて、結局は運命共同体となる小川真由美の倦怠した部分と情熱を持った部分の演じ分けも良い。この役にかなり入れ込んでいたという、金子信雄の演技は少々熱がこもり過ぎというか…かなり脂っこい。ただ、ワルで、汚くて、スケベじゃない金子信雄は貴重な映像資料でしょう。

現実に解決していない事件なのだし、結局はどうにもならない結末であることはわかっているのだが、現実だからこそ少々過剰な色づけをされていても真に受け止めてしまう部分があって、妙にスリルを感じました。そこらへんがキワモノ映画の強みなのでしょう。これをリアルタイムで見た人達にとっては、今回僕が味わったもの以上にスリルめいたものをもっと感じながら作品に入り込んだのだろうと思います。


 『実録三億円事件 時効成立』                      Sanyen_2                       
  監督:石井輝男
  脚本:石井輝男、小野竜之助
  撮影:出先哲也
  音楽:鏑木創
  出演:岡田裕介、小川真由美、金子信雄、
      田中邦衛、絵沢萌子、中田博久、
      近藤宏、六本木吉野
  (1975、東映東京)

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アメリカ映画の感想 『コラテラル』

ハリウッドは、とにかくスターの見せ場に重きを置き過ぎるバランスの悪い演出と不味い脚本さえ回避出来れば、やはり世界ナンバーワンの娯楽映画生産場です。
本作と同じマイケル・マン監督作品「ヒート」では、スター総出演の弊害ともいうべき冗長さに辟易としたものですが、今回はストーリーの主となる部分ほとんどをトム・クルーズとジェイミー・フォックスのディスカッション劇で描ききり、彼らを取り巻く外環境の描写はさらりと流すような感じで、そこが作品のテンポの良さに繋がっているのだと思います。少々結び付けの強引さが鼻につく脚本ではありますが。

トム演じる殺し屋は、キャリア6年のまだまだ甘ちゃんレベル。冷徹さと腕前は充分に合格点を与えられるレベルだが、殺しの痕跡を残しまくるといった細かいミスを繰り返すので、タクシー運転手には徐々に図に乗られることとなる。まだまだ超一級の殺し屋とは程遠いトムが徐々に露にする焦燥感と、徐々に素の自分を取り戻し、勇気を持って行動していくジェイミー・フォックス。心理面の変化を細かく演じ分けるトム・クルーズとジェイミー・フォックスの演技合戦は見物です。

序盤で“トランスポーター”ジェイソン・ステイサムが友情出演。


 『コラテラル』                                 Collateral_2
  監督:マイケル・マン
  出演:トム・クルーズ
      ジェイミー・フォックス
      ジェイダ・ピンケット・スミス
      マーク・ラファロ
      ピーター・バーグ
  (2004、アメリカ)

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日本映画の感想 『現代任侠史』

1973年当時の東映といえば、前年に『仁義なき戦い』が公開されて以降、実録路線まっしぐら状態であったわけだが、そんな中、古き良き任侠ものの世界を現代風にアレンジしたという中途半端な設定の本作であります。

とにかくこれだけラブロマンスが全面に押し出されたヤクザ映画も珍しいもので、健さんと梶芽衣子のこれでもかという程の、純情極まりない清い男女交際が画面いっぱいに展開されるのだが、やはりここに尺が割かれすぎていて、ヤクザ映画としてのバランスの悪さは否めません。

結局、橋本忍の脚本と石井監督の演出は水と油。どちらを期待してみても両方が肩透かしを食らう、奇跡のマッチングはかえってマイナスの方向にしか働かなかったという結果に。
キャストは豪華だし、健さんは相変わらず格好良いのだけれども。


 『現代任侠史』                                Ninkyousi
  監督:石井輝男
  脚本:橋本忍
  撮影:古谷伸
  音楽:木下忠司
  出演:高倉健、梶芽衣子、小池朝雄、
      郷鍈治、成田三樹夫、夏八木勲、
      内田朝雄、田中邦衛、安藤昇
      南利明、辰巳柳太郎
  (1973、東映京都)

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日本映画の感想 『直撃地獄拳 大逆転』

カラテ嫌いの石井監督がやっつけ仕事した前作『直撃!地獄拳』が予想に反し大ヒットして急遽製作された本作。「もう二度とカラテ映画のオファーが来ないように…」という不埒な意図のもと撮られたこの映画、前作を超える逸脱に次ぐ逸脱である。

いつものように総監に召集された3人、前回は意味なく天井に張り付いていた千葉真一は今回も意味なく甲冑姿であったり、郷鍈治がいつにも増して非協力的なのは女にメロメロだから、なのだがその女が総金歯でデブの酷いオバハンであったり(劇中では「獅子の化け物」と呼ばれている)、何故か山城新伍が双子の兄弟という二役、しかも片一方が意味不明の時代劇メイク…。千葉、佐藤、郷の3人が一緒に酒を酌み交わすシーンでは、一人が目を離すスキにグラスにハナクソやフケを混入したりと、お下劣極まりない子供レベルのいがみ合い、そして唐突に繰り返される、物語とは何の必然性も無いギャグの応酬、もうすでに本来のテーマであるはずのカラテはどこかに飛んでしまっている。
女ドラゴン・志穂美悦子、首を180度回転させられて息絶える名和宏、相変わらずマイ・ペースな丹波先生、特別出演・鬼寅さん・・・前作以上に脇も充実。

普通はこれだけ逸脱すれば物語そのものの成立が怪しいものだが、そこは天下の石井監督。何とかお話に仕立て上げる。お下劣をギリギリのラインで笑いに転化させる絶妙さと、テンポやリズムの良さが冴え渡る一編。特に、前作と本作のダイジェストシーンや本編とは何ら関係ないオッパイなどが、鏑木先生お馴染みの和洋折衷、格好良い音楽に乗せて、次々にフラッシュバックするオープニングタイトルは最高。

『直撃地獄拳 大逆転』のオープニング

この作品を初めて見た次の日の朝、石井監督逝去のニュースが飛び込んできた。
そんなこともあり個人的には印象深い作品である。


 『直撃地獄拳 大逆転』                          Jigokuken_daigyakuten
  監督:石井輝男
  脚本:石井輝男、橋本新一
  撮影:出先哲也
  音楽:鏑木創
  出演:千葉真一、郷鍈治、佐藤允、
      中島ゆたか、池部良、丹波哲郎、
      室田日出男、名和宏、志穂美悦子、
      山城新伍、安岡力也、嵐寛寿郎
  (1974、東映東京)

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日本映画の感想 『直撃!地獄拳』

日本での麻薬汚染を阻止すべく、元警視総監(池部)とその姪であり秘書(中島)は、甲賀忍者の末裔で何故か空手も使う甲賀(千葉)、総監の元部下で今は一匹狼の殺し屋・隼(佐藤)、合気道師範だが殺人を犯してしまい死刑囚の桜(郷)の3人を雇う。3人に下った指令は、日本を麻薬汚染から守るために、マフィアが日本に密輸するヤクを奪うというもの。「奪ったヤクを海外で捌くと200億は堅いぞ!」という池部の元警視総監とは到底思えない甘い言葉にまんまと乗せられる3人。3人=3バカ達は裏切り、反目し合いながらも麻薬密輸組織を壊滅に追い込んでゆくのだった。

何度も言うが、千葉は甲賀忍者の末裔でありながら、空手の使い手でもあり、さらにヌンチャクをも操り、北斗百裂拳のような秒速パンチで大柄の黒人どもをねじ伏せ、娼婦たちも容赦なくボコボコにする男。
佐藤は真面目な顔してクールに決めているように見えて、どこか間の抜けた男。
郷は、どう見たって凶悪犯には見えないお茶目でおバカな男。
佐藤の後輩・倉田保昭は先を急ぐ佐藤に「服を着る時間くらい下さいよ」と懇願するが、結局上半身ハダカなままのこれも間抜けな男。
元ボクシング世界フェザー級チャンピオンという本当の肩書きを持つ西城正三という男も登場するが、僕は年代的にちょっとこの男は知らない。
麻薬組織日本支部のドン・津川グランパパ雅彦は見るからに嫌味。無理矢理「ニューヨーク」に見立てた伊豆あたりの別荘地にシシリアンレスリング(?)の使い手や必殺インドガンダーラ拳法の使い手(??)や全アラブ空手チャンピオン(???)といった猛者達を囲い込む男。

もうおわかりだと思うが、要するにお笑い映画なのである。
「面白ければ何でもアリ」の石井流で、早過ぎたK-1グランプリを軸にアクション・お色気・ギャグを爽快なテンポで一気に見せ切ってしまう。
カラテが大嫌いの石井監督がやっつけ仕事で撮った映画。これだけ無茶苦茶やってても本作はヒット。そしてヤケクソ笑撃のカルト作『直撃地獄拳 大逆転』へと繋がってゆく。


 『直撃!地獄拳』                              Jigokuken
  
監督:石井輝男
  脚本:石井輝男
  撮影:山沢義一
  音楽:鏑木創
  出演:千葉真一、
郷鍈治、佐藤允
      中島ゆたか、池部良、西城正三、
      津川雅彦、倉田保昭、芹明香
  (1974、東映東京)

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日本映画の感想 『ヴィタール』

塚本監督が、8年の歳月をかけて膨大な量の医学書を読みあさり、そして医大の解剖実習等知られざる医療の現場の見学を経て作り上げた、渾身の作品。

主人公・高木博史(浅野)は、交通事故が原因で記憶喪失に。彼の父(串田)は、医師であり、なんとか博史に後を継がせようと医学書を買い与えていたが、どうやら記憶を喪失する以前、彼に医師になる気は無かったようだ。しかし、記憶を喪失したまま自分の家へと戻ってきた彼は、押入れにしまってあった大量の医学書を見つけてからというもの、医学の勉強に没頭する。そして何年かの時が経ち、医大へ入学。入学後も好成績を収め続ける博史。そんな折、柏淵教授(岸部)による、実際の人体を使用した解剖実習が始まった。初めて目の前にする実際の人体を前に、緊張する者、気持ち悪くて吐きそうになる者…しかし、博史だけは初めて人体を捌くとは思えないほどに、手際よく作業を進めていくのだった。そして、解剖実習が本格化するにつれ、博史の中で何かが動き始める。博史は最愛の人との記憶を思い出したのだ。最愛の彼女は博史が記憶を失った事故により、死亡。彼女との記憶が段々明らかにされてゆく中で、実は今解剖している人体がその彼女のものであることが判明。博史は、彼女の体を解剖することによって、記憶、肉体、時空をも超えた場所で、彼女とのコミュニケーションにのめり込んでゆく…。

人体解剖がテーマ、描写もリアル。でもホラー映画ではないし、医療の現場を問うような類でもない。これは一種のラブ・ファンタジーである。
彼女は死ぬ間際に自分自身で献体(自分の体を解剖用に差し出すこと)を希望し、博史はというと記憶喪失前は医師になる気など無かったのに、喪失後は人が変わったかのように(記憶は無いのだけれど)医学の勉強に打ち込み、医大へ入学。解剖実習の場で彼女との再会を果たす、という展開は決して偶然ではなく、彼女自身の意思により達成されたもの、いわゆる必然として描かれている点に、リアリティは皆無である。だから、ラブ・ファンタジーであると思う。

作品全体に漂う、生や死に対する人間の根幹の部分を揺さぶり続ける重厚感は塚本監督らしくさすがだと思うのだし、人体解剖という切り口からは到底想像がつかない、ラブ・ファンタジー次元にまで昇華させてしまうそのストーリー展開力。類まれなる創造性、常人では思いもよらない感性、この塚本晋也という人の“非凡”を十二分に感じとれる作品である。


 『ヴィタール』                                 Vital_3                                  
  
監督:塚本晋也
  脚本:塚本晋也
  撮影:塚本晋也、志田貴之
  音楽:石川忠
  出演:浅野忠信、柄本奈美、KIKI
      串田和美、りりィ、岸部一徳、
      木野花、綾田俊樹、國村隼
  (2004、海獣シアター)

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日本映画の感想 『六月の蛇』

何日も雨が降り続く六月の東京。りん子は心と健康の電話相談室に勤めている。潔癖症の夫とはセックスレス。でもお互いに愛情が薄れたわけではない。ある日、職場で一本の相談電話を受け取ったりん子。りん子はその相手を励まし、自殺を食い止めることができた。だがそれをきっかけにその男からりん子へのスト-カー行為が始まる。彼女の自慰行為を盗み撮りした写真が送られてきたのだ。その日からりん子の恥辱と恐怖の日々が始まる…。(goo映画より)

塚本晋也のエロスをテーマにした作品。でも、エロいというよりかは痛くて、重い感覚。死を間近に迎えた男女が、欲望の解放とは何かを死の間際にしてようやく悟るという話。二人の主人公(黒沢あすか、塚本監督)にはもう死期が近いということと、日常的性生活においてのハンデを背負っている分、「性」の「生」に占めるウェイトの重さを痛感させられることとなる。
そして「生」が終わりに近づく間際、「性」を解放した主人公はようやく真実の愛に辿りつく。

絶望的イメージに彩られるかのような、見たこともない白黒ならぬ“白青”の映像、そして雨…純粋に美しくて残酷な映像。黒沢あすかの凄みすら帯びた美しさ、塚本監督の俳優としてのうまさ、神足裕司の潔癖さ、石川忠の心情にズシンと迫り来るような精神性の高い音楽…素晴らしい点を挙げればキリがない作品。

この映画のロゴマーク「A SNAKE OF JUNE」。どうでもいいが、感じがキューブリックの『時計仕掛けのオレンジ』っぽい。
2002ベネチア国際映画祭コントロ・コレンテ部門(主に前衛性の高い映画部門)審査員特別賞。


 『六月の蛇』                                 Snake_june
  監督:塚本晋也
  脚本:塚本晋也
  撮影:志田貴之
  音楽:石川忠
  出演:黒沢あすか、塚本晋也、神足裕司、
      鈴木卓爾、田口トモロヲ、寺島進
  (2002、海獣シアター)

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アメリカ映画の感想 『ラストサムライ』

トム・クルーズ主演のハリウッド製時代劇。
出世作となった渡辺謙の役どころは、明治維新後の征韓論に敗れて、国元へ帰り反乱を起こした江藤新平(佐賀の乱)や西郷隆盛(西南戦争)などがモデルと思われる。ただし、実際にこれらの反乱そのものを描いているわけではない。

とにかくハリウッド映画の悪い部分、アメリカの日本に対する見識の甘さが鼻につく。
まず、第一に明治時代に入って、いくら武士であろうが剣のみで戦争することなどまずもって有り得ない。戊辰戦争を知らないのか?遡れば戦国時代から国産の銃はあったのである。もっと言うなら「古き良き」を大切にするが為に、新政府と戦争を起こすことなどまず有り得ない。それなら、既に鎖国が解禁された時に尊王攘夷の風潮に乗って、外国人排斥をするのだし、新政府よりかはむしろ幕府を擁護する側に回るはず。ところが、渡辺謙演じる武士は近代的な新政府の要人に納まっているのである。これはどう考えたっておかしい。さらに本国アメリカにて、インディアン掃討作戦で傷ついていたはずのトム・クルーズは何故こんな無意味な戦いに命を懸ける必要があったのか?渡辺との出会いを通して彼はどう変化していったのか?彼は日本で何を見つけ、なぜ命を懸けてまでそれを守ろうとしたのか?単に武士道に魅せられたから?そこら辺りの筋が決定的に甘い。

単純に映画的面白さに満ちていればそれでいいという問題ではない。フィクションではあるが、歴史的背景はしっかり拝借しているのである。いい加減な、イメージだけの時代考証で、日本の歴史を歪曲させられては困る。これだから、いまだ本当に忍者や侍が居ると思い込んでいる欧米人が後を絶たないのである。本作の製作スタッフにとって、日本はいまだフジヤマゲイシャの国なのだろう。

さすがに渡辺謙はスケールが大きくて良かった。さらに、堂々とした立ち回りを演じた真田広之はあまりに格好良く、トムより目立ちすぎて出番を大分削られたとか。悲しい話である。つくづく腹の立つ映画である(だが、東映京都の大部屋俳優・福本清三さんの活躍は嬉しかったりする)。


 『ラストサムライ』                              Last_samrai_5
  監督:エドワード・ズウィック
  出演:トム・クルーズ
      ティモシー・スポール
      渡辺謙
      真田広之
      小雪
      原田真人
  (2003、アメリカ・ニュージーランド・日本)

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